›May 28, 2004

幸せについて真剣?に考える

Category: たわごと , 幸せ / 0 Comments: Post / View / 0 TrackBack

最近幸せについて真剣?に考えている。

例えば「エッチなハプニング」。春風のいたずらでかわいい女の子のスカートがちょっとめくれてパンツが見えたとか、電車で座っていたら隣のかわいい女の子が俺の肩に寄りかかって寝ていたとか、混浴風呂に入っていたら後からかわいい女の子が入ってきたりとかね。(身悶えながら書いてます。ハプニングさいこー!
人間の三大欲求である本来の性欲からすると、(女性との合意の上で)セックスをするというのが男性の欲求であり、上記に挙げたハプニングなぞ全くセックスと結びつくわけではない。でもそんなハプニングに遭遇するとすげー嬉しかったりする。朝の通勤電車で隣の女の子が寄りかかって寝てなんかりしていようものなら、俺だったら一日中幸せな気分でいられるね。上司にこっぴどく怒られても「今日はいいことがあったからいいや」とか思っちゃうもんね。

しかもこれらのことは、その女の子にしてみればほとんど大したことではない(と思う)。つまりこれらの現象は(俺らの幸せ)>>(彼女らの不幸)という不等式で説明ができる。

この逆の現象が「戦争状態」。例えばイラクの民間人を爆撃する兵士にとっては大したことではないが、殺されたイラクの民間人にとってはとても不幸なことである。すなわち(イラクの人々の不幸)>>(米兵の幸せ)という不等式が成り立つ。この不幸を復讐・仕返しという方法で解消するとしたら、さらに不幸が増幅していくという最悪の状態へ突入する。

つまり幸せにしても不幸にしても、与える人と受け取る人とで価値観の違いが存在し、価値観の違いがあることで幸せないしは不幸を増幅させることが可能になる。すなわち、岩井克人の「差異性から利潤を生み出す」という資本主義の一般原則に相当するような原則が、幸せに対しても成立するのではないか。
というようなことを考えた。

あー、エッチなハプニングが起きないかな。<本当に真剣なのか、俺

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